フロリダ(2):マイアミビーチのMiMoデザインとパステルカラーパレット

前回のフロリダのアール・デコ地区に引き続き、今回はフロリダ建築のマイアミモダン(Miami Modern)についてをご紹介します。アール・デコ建築のイメージが強いマイアミビーチですが、第2次世界大戦後のマイアミビーチの建築は世界的なモダンムーブメントに影響され、幾何学の遊び心を取り入れたフォルムがデザインされるようになりました。そのため、その頃の建物のデザインはMiMo(Miami Modern)と呼ばれています。

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MiMo(Miami Modern)マイアミモダン(1940年代後半ー1960年代中頃)

建築スタイルは引き続き水平のプロポーションがより強められ、フラットの屋根と大きく張り出した庇が多く見られるようになりました。バルコニーやプランターボックスのデザインにも水平が強調されたデザインが見られます。
また、アール・デコ期の特徴であった庇『アイブロー』は金属製の庇や、庇と窓枠が一つになったものへと変化し、太いラインやデザインを強調するため、外壁と対照的な素材や色で作られています。

幾何学模様の丸窓や向かって右側のポールはMiMo建築に見られるデザインの特徴のひとつ。

幾何学模様の丸窓や向かって右側のポールはMiMo建築に見られるデザインの特徴のひとつ。

ファサードデザインの中心軸については、アール・デコ建築では建物の中央であったのに対して、MiMo建築では中心軸が建物ではなくコートヤードの中央に移り、コートヤードを挟んで2つの対象的なデザインの建物が建てられる形が見られます。

また、戦後すぐのモダン建築はアール・デコ期の建築と同様に内部動線に沿って建てられ、アパートメントはエントランスを入ると内廊下と内階段が設けられていましたが、後期のMiMo建築で外部動線に組み込まれ、エントランスからは外階段と外廊下が設けられています。また外階段は建物の左右対称に設けられていることが多く、それはMiMoのデザインの重要な特徴の一つでもあります。

MiMo建築のディテールの特徴
Proscenium(プロセニウム):中庭を挟んだ二つの建物を繋いでいるバルコニーのような建物部分
Fun :MiMoのデザインは遊び心のあるデザインスタイルで、ラインや角度を楽しむ事で戦後の楽観的な方向性を具現化している。
Steel Pipes/ Columns:スチールパイプの柱を使うことで、新しいデザインとユーモアを示している。縦方向にストレートまたは斜めに延びるデザインが多く見られた。
Ironwork:MiMoデザインでは実に様々なアイアンワークが見られるが、ほとんどは建築家やオーナーによってカタログの中から選ばれてもの。アイアンレールはその家のキャラクターを決める要素とも言える。また、いくつかの建物については、レールがその建物の中で最も重要で保存されるべき要素の場合も見られる。
Decorative Block Walls:コンクリートで作られたブロックは手すり、壁、フェンスなど様々な部分に使われている。構造的には音や風が通り抜けるので、通称ブリーズブロックと呼ばれる。
Exterior Surface Materials:外壁はスタッコにコントラストのあるマテリアル(天然石やタイルなど)を組み合わせている事が多い。
Eaves(庇):MiMo建築はフラット屋根と共に、突き出た庇があることが多い。
Cortyard:ファサードの中心軸として二つの建物の間に設けられている。

バルコニーの一部の床円形にくり抜かれたデザイン。幾何学のデザインはMiMoの建築に見られる。

バルコニーの一部の床円形にくり抜かれたデザイン。幾何学のデザインはMiMoの建築に見られる。

MiMoの特徴である外階段、手すりにはアイアンワークが見られる。

MiMoの特徴である外階段、手すりにはアイアンワークが見られる。

 

バルコニーの幾何学模様のデコラティブ・ブロック(ブリーズブロック)。マイアミの気候に合わせて風通しを良くするために、模様部分をくり抜いてある。

 
MiMo Districtにあるコーヒーショップ。大きな庇と円形のフラットな屋根がMiMoの特徴。 こちらのコーヒショップのあるBiscayne BoulevardにはMiMo建築が多く見られる。

MiMo Districtにあるコーヒーショップ。大きな庇と円形のフラットな屋根がMiMoの特徴。
こちらのコーヒショップのあるBiscayne BoulevardにはMiMo建築が多く見られる。

デザインとカラーパレット
再び話題はアール・デコ建築に戻りますが、マイアミビーチのオーシャンドライブを訪れたことのある人であれば、立ち並ぶ建物を思い浮かべたときに「パステルカラー」がイメージされるのではないでしょうか。
このパステルカラーにまつわるストーリーを下記に短く紹介します。
マイアミのアール・デコ建築が建てられた当時は、建物の外壁の色は全てナチュラルな色でしたが、バーバラチャップマン(Barbara Capitman)とアール・デコ保存運動をしMBPLを立ち上げた、工業デザイナーのレオナルドホロウィッツ(Leonard Horowitz)によって塗り替えの動きが作られました。
ニューヨークで家具デザイナーをしていたレオナルドでしたが、同性愛者であることが原因で父親に勘当され、母親の住むマイアミのサウスビーチへとやって来ました。29歳でした。レオナルドはすぐにバーバラチャップマンと交友を深めて行きました。バーバラはレオナルドよりも30も年上でしたが、二人は「アール・デコ」という共通の心惹かれるものに意気投合したからです。レオナルドとバーバラはMBPLを立ち上げたのち、国家歴史指登録財への登録作業の資金を得るためにプレゼンテーションをした際、レオナルドはアール・デコ建築を目立たせるための「外壁のパステルカラーへの塗り替え」を提案し、20色のカラーパレットを作成したのです。これらの色はマイアミビーチの太陽、空、海、ビーチから引き出された色で作られています。

A palette of pastels created by Leonard Horowitz.

A palette of pastels created by Leonard Horowitz.

試験的にマイアミビーチのとあるベーカリーにてパステルカラーの外壁塗装が行われましたが、社会からは「大恐慌を思い出させるアール・デコ建築をなぜ目立たせるのか」や「まるで娼婦宿のようである」という厳しい意見が寄せられていました。しかしレオナルドは一軒ずつ説得をしながら、パステルカラーの外壁デザインを広めて行きました。

Friedman's Bakery circa 1982. Leonard Horowitz's のデザインはProgressive Architecture magazineの表紙を飾った。

Friedman's Bakery circa 1982. Leonard Horowitz's のデザインはProgressive Architecture magazineの表紙を飾った。

その後、1982年にProgressive Architecture magazineという雑誌にてパステルカラーのベーカリーが表紙に掲載されると、マイアミビーチのアール・デコ建築においてパステルカラーの外壁塗装は爆発的に広まりました。それはもうレオナルドは一軒ずつ訪ねて回ることはなく受け入れられて行ったのです。

雑誌に掲載された翌年にレオナルドはエイズにてこの世を去りました。42歳でした。

パステルカラーのアール・デコ建築が立ち並ぶ様子はマイアミ独自のアール・デコ、トロピカルデコをより一層際立たせ、アール・デコ建築に宿る大恐慌の暗い過去を現在の明るいマイアミビーチのイメージに変化させていますね。