フロリダ(1):マイアミのアール・デコ地区について

シカゴやニューヨークからの避寒地として人気のエリア、フロリダ州マイアミビーチ。ビーチ沿いのオーシャンドライブ通りを歩いていると、パステルカラーのカラフルな建物が立ち並んでいるのが目に飛びこんできます。マイアミビーチはビーチリゾートだけではなく、アール・デコ保存地区としても有名なエリアです。ここでは2017、2018年冬に訪れたアール・デコ建築ツアーに参加してきた内容を基に、マイアミ建築・デザインをご紹介していきます。

ビーチ沿いのオーシャンドライブ通りにはアール・デコ建築が立ち並び、多くの観光客で賑わっています。

ビーチ沿いのオーシャンドライブ通りにはアール・デコ建築が立ち並び、多くの観光客で賑わっています。

フロリダ州マイアミビーチの中でもサウスビーチと呼ばれるエリアにアール・デコ地区はあります。
このエリアには大西洋のビーチ・海岸沿い約8マイルに20以上の歴史保護地区が点在していますが、特にOcean Drive、6th street から Lincoln Laneに囲まれた1マイル(1.6キロメートル)四方のエリアはThe Miami Beach Architectural Districtとしてアメリカ国家歴史登録財(National Register of Historic Places (NRHP))に指定されています。( Old Miami Beach Historic DistrictやMiami Art Deco Districtの呼称でも親しまれています。)
このエリアには当初は1,000以上、現在は800のアール・デコ地区の建築があり、Miami Design Preservation League(以下MDPL) 非営利団体によって保護されています。

赤で囲まれた部分が国家歴史材登録エリア

赤で囲まれた部分が国家歴史材登録エリア

アール・デコセンター
MDPL アール・デコウェルカムセンターはオーシャンビーチ沿いにあります

MDPL アール・デコウェルカムセンターはオーシャンビーチ沿いにあります

MDPLはシカゴ生まれの女性活動家バーバラチャップマン(Barbara Capitman)と工業デザイナーのレオナルドホロウィッツ(Leonard Horowitz)によって1977年に設立されました。更に2年後の1979年、彼らの努力は実り、平方マイルのアールデコ地区が国家歴史登録財に登録され、街並みが保護されていくこととなりました。1980年頃にはチャップマンらがアンディーウォーホールの希望によりアール・デコ建築のツアーを提供したことから、マイアミアール・デコ地区はメディアの注目を集め始めました。アンディーウォーホールはアール・デコのコレクターとしても有名でした。

 

アールデコ地区には、時代の変遷とともに地中海リバイバル、アールデコ、マイアミモダン(MIMO)の3つの建築様式が見られます。時系列で開発や様式の流れを見ていきましょう。

マイアミビーチの開発と始まり
1914年にマイアミビーチとアメリカ本土を結ぶ橋が初めて開通し、多くの人々がマイアミビーチに訪れるようになりました。翌1915年にはマイアミビーチの創立しアメリカ北部に住む富裕層の避寒地・冬の別荘としていくつかの高級ホテル、ゴルフコースが作られ、さらにマイアミビーチの将来のビジョンが描かれました。1920−1925年には土地開発ブームによって56のホテルに4000室の客室が作られて急成長し、住宅は約850棟と約180のアパートメント、3つのゴルフコースと4つのポロフィールドが完成しました。

Mediterranean Revival  1910から1930年代
1920年代初頭、マイアミビーチでは開発者によってカリフォルニアにも当時多くみられた「ファンタジー」建築がもたらされます。 この建物スタイルは装飾的な柱、アーチ型の窓、アイアン手すりの装飾、タイルの屋根、スタッコの壁、絵のような中庭を守っているような鉄製のゲートを特徴とし、これらの建物はいくつかの異なる地中海スタイルの要素を組み合わせて「ファンタジー」な旧世界的解釈をしたものであると言えます。

ではなぜ地中海リバイバルが流行ったのでしょうか。フロリダやカリフォルニアにはスペイン植民地時代の歴史があり、その痕跡はそして多くの観光客にとって魅力的な要素の一つでした。そのため、建築家たちはスペインの特徴と地中海の別荘や海辺の宮殿の特徴を組み合わせて、アメリカ国内で独自のスタイルを作り出しました。そのため、「ファンタジー」な建築は多くの点でスペインリバイバルやミッションリバイバルのスタイルに非常に似ています。その後10年で、アメリカの他の地域でも地中海リバイバルの建築スタイルが受け入れられました。

マイアミビーチエリアではアール・デコツアーでも紹介された、かつてのヴェルサーチの別荘や、オーシャンドライブから西へ4ブロックほど入ったスパニッシュビレッジに立ち並ぶレストランでもこのスタイルを見ることができます。

上記はベルサーチの別荘だった建物

Art Deco 1920ー1940年
ーアール・デコ期(1920-1930年代)

アール・デコ(1920年代後半ー1930年初め)マイアミビーチの20世紀の近代建築はアールデコ様式で始まります。アール・デコの起源は1920年代半ばのヨーロッパ、フランスにあります。
 マイアミビーチでの前期のアール・デコの建物に見られる主な特徴は、ファサードが水平方向と垂直方向にそれぞれ3つの部分に長方形のように分けられていることです。また、ポーチとデッキが設けられているのがアール・デコの特徴です。建物は左右対称で、多くの建物には縦方向を強調するエレメントがあります。また、建物内部は廊下の両側に部屋がある中廊下型が特徴です。コンクリートでできた『アイブロー』と呼ばれる眉毛のような特徴的な窓上の庇は、南国の強い太陽の日差しを遮る役割をしています。前期アール・デコ建築は非常に遊び心がありながらも、しっかりとした左右対称のデザインが強く根付いています。

1925年パリの博覧会でのアール・デコの展示があり、マイアミのアール・デコデザインも影響を受ける
1926年にはフロリダは大ハリケーンによる多くの死者が出て、街は壊滅状態。その後に街の再建や開発がされた
1929年世界大恐慌がありマイアミへ移り住んだ富裕層の多くが全財産にを失った

Art Deco 1920ー1940年
 ーSTREAMLINE期(1930中頃ー1940年代初め)

 マイアミにはアール・デコデザインの第2フェーズ、ストリームライン期が訪れ、現在ではトロピカル・デコとも呼ばれています。マイアミのアール・デコ期の第2フェーズは世界大恐慌に始まり、第2次世界大戦の勃発によって終わりを迎えました。そのため、”Streamline Moderne(ストリームラインモダン)”のデザインの特徴は装飾的な要素は少なく、アメリカらしい機械の形状や工業デザインの形状に基づいています。
 ストリームライン期のアール・デコ建築の特徴は前期の『縦』を強調したデザインに対し、ファサード部分に『アイブロー(眉毛)』の庇をコーナーからファサードの側面の窓までぐるりと横切らせることで、より横方向のラインを意識してデザインされています。また、建物のコーナーを丸く、窓は以前の様式よりもファサードの側面部分に配置して、コーナーの構造がより自由で新しいシステムであることを強調しています。
 建物の中心軸は、アール・デコ前期はファサードの中央でしたが、ストリームライン期はファサードの中心軸をコーナー部、街の交差点に合わせたデザインが見られるようになります。また、そのコーナー部の縦に伸びるラインを屋上のサイン看板でさらに強調しています。そのようなデザインはまさにストリームライン期の特徴である『動き』と『スピード』を表しています。

ストリームラインのサブスタイルであるStripped Classic (装飾のほとんど取り除かれた古典主義デザイン)やModern Depression(モダンディプレッション)は、政府の建物によく使用されていました。

マイアミビーチの建築家たちはマイアミビーチをイメージするモチーフを使ってトロピカルデコと呼ばれる建物をデザインをしました。これらは植物をモチーフとした装飾や船をイメージしたデザインなどに見られ、南国のリゾート地としてのマイアミビーチのイメージをより強調しています。 マイアミビーチのアールデコのこれらの要素は、アールデコ様式を持つ他の地域の建物のデザインとは一線を画しています。

Beach Patrol Headquarters - マイアミビーチのパトロール本部 1934年築 船のようなデザインが特徴的なアール・デコ建築

Beach Patrol Headquarters - マイアミビーチのパトロール本部 1934年築 船のようなデザインが特徴的なアール・デコ建築


ストリームライン期の前後の背景を見てみると、1930年代初頭までマイアミビーチにはポストディプレッションブーム(Post Depression Boom)があり、ハリケーン前のマイアミビーチの繁栄を継続するものでした。この時期に建てられた多くの建造物に前期アール・デコのスタイルが用いられました。そして1930年代のアメリカ世界博覧会では大恐慌(Great Depression)の後には楽観的な未来が訪れるであろうという表現が支持され、マイアミもビーチの自然を利用したリゾート開発が進んでいきました。ところが、1939年に始まった第2次世界大戦中は、美しいアール・デコ様式のホテルは約50万人の陸軍部隊を収容することとなり、1940年までに28,000人だった人口は75,000人までに急激に増えていきました。

マイアミのアール・デコ地区の建物の特徴
ー屋根のラインはメソポタミ建築の形状からインスパイアを受けている
ー左右対称のデザイン
ー窓の上にはアイブローと呼ばれる眉毛のような小さな庇がついている
ー窓の庇のコーナー部分はRの形状で側面とつながっている
ーネオンサイン:元の建物の色はナチュラルカラーだったため、夜はネオンをつけて目立たせたのが始まり。
ー縦ラインのデザインを強調するために縦型の装飾がされている
ーポーチやコートヤードが設けられている(南国のトロピカルな気候のため)
ー3階建が多い:エレベーターがいらないため。現在は歴史的に保存、既存のファサードデザインを保つために屋上改修で新たに設けられたプールの屋根などは建物の奥まった位置に設けるなど工夫をしている。
ーライムストーンが多く使われている:フロリダで採れるキーストンと呼ばれる石を使っている
ーフローズンファウンテン(装飾)が壁にデザインされている

アール・デコのエレメント
Bas-Relief Panel
多くのパネルはエジプト・メソポタミアンアートからインスパイアされている。加えて、マイアミビーチの建物は自然にあふれるフロリダの環境に影響を受けている。そのため、多くのホテルのファサードのトロピカルモチーフの彫刻が施されており、マイアミビーチでとても人気のあるデザイン
Chevron Detail
アール・デコ特有のシェブロン柄の角度を強調したジグザグをリピートしたモールディングデザインが用いられている
Concrete Stucco Rails
デコラティブなポーチのスタッコレールはオーガニックな形状と幾何学的な形でデザインされている
Marquees
元は映画や映画館を目立たせるために作られたサインだが、マイアミの建築にも影響を与えた。大きなスタッコでマーキーのような看板を作ったホテルもある。多くのシアターはアルミのマーキーにネオンのイルミネーションをつけている。
Vitrolite
表面が硬く焼き付け仕上げされたオパールグラスは通常は黒、白、または暗い赤である。Vitroliteは水平部の装飾で、アール・デコ建築におけるオーナメントエレメントの一つ。

いかがでしたか。歴史を知ると街の見え方は随分と変わってきますね。
次回は「マイアミアール・デコ地区について(2)」でMIMO(Miami Modern) とカラーパレットについてをお届けします。